1947-12-03 第1回国会 衆議院 運輸及び交通委員会 第40号
この羽後鐵道というのは昭和五年湯澤を中心とするところの雄勝線を開通しましたし、また前に開通しておりました横手を起點とするところの鳥海山脈に至る線、この二つをもつておりまして、この線は秋田縣の南部交通の動脈として奥羽線に直結するところの唯一の私鐵であります。この沿線は鳥海山脈を中心とするところの薪炭補給の輸送ルートにもなつておりますしまた雄勝平野の農産物集散の線でございます。
この羽後鐵道というのは昭和五年湯澤を中心とするところの雄勝線を開通しましたし、また前に開通しておりました横手を起點とするところの鳥海山脈に至る線、この二つをもつておりまして、この線は秋田縣の南部交通の動脈として奥羽線に直結するところの唯一の私鐵であります。この沿線は鳥海山脈を中心とするところの薪炭補給の輸送ルートにもなつておりますしまた雄勝平野の農産物集散の線でございます。
しかも鳥海山脈の麓に属するところでございまして、この砂防が一たび決壞いたしますと、人家に對する被害というものはきわめて甚大でありますし、さらに南の方に破れますと、千四百餘町歩という庄内平野の一環でありますが、そこが冠水するわけであります。